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<続> かっこう かっこう かっこう…




こんにちは、若住職の雄道です。


以前、カッコウについてお話をしました。


「托卵(たくらん)」をご存じでしょうか?

托卵とは、自身の卵を他の個体に託し、代わりに育てさせる動物の習性のこと。

その代表としてよく挙げられるのが、カッコウです。


卵を温めている親鳥の様子を伺い、それが巣を離れた瞬間に、カッコウは一つ卵を盗み、即座に、自分の卵を一つ産み付けます。

数十秒という短い時間の中で、その作業は行われるようですね。


カッコウの体内でしっかりと温められて産み落とされた卵は、巣の中の他のどの卵よりも早く孵化します。

孵ったカッコウの雛は、その目が開く前に、周りにある、自身の弟妹となるはずの他の卵を、背中にあるくぼみを利用して、巣から落とし、排除する。

その結果、我が子を全て殺されてしまった仮の親は、一生懸命にカッコウの子供を自分の子供と思って育てます。


カッコウは、托卵をモズ、ホオジロなどの、カッコウよりも数倍小さな個体に行うことわけですが、カッコウの雛が育ってくると、一回りも二回りも大きなカッコウに、親鳥が餌を一生懸命に与えることになるのです。


厳しい自然界で生き抜き、種を残していくことは過酷です。

第三者が安易に残酷だとクレームを入れることは避けるべきでしょう。


カッコウの別名を、日本では「閑古鳥(かんこどり)」といいます。

お客さんがいないお店を、「閑古鳥が鳴いている」という表現をしますが、その「かっこう」という鳴き声は切なくもの悲しい気分を誘うためだとされております。

そして、カッコウ自体も、あまり鳥同士で手を取り合って生きていく習性は持っていないようですね。


カッコウとは孤独な鳥といえるでしょう。


とはいえ、その環境に適した生存競争の結果に対して、可哀そうなどというのは、正に余計なお世話なのでしょうね。


ところで、カッコウは、自分をいつから「カッコウ」だと認識するのでしょう?


本当の親と対面する機会は無く、育ての親は別の個体であり、鳴き声も、習性も違います。


でも考えてみれば、「カッコウ」という名前自体、人間がつけたものでしたね。


カッコウは、ただ自身の今ある命を懸命に生きているだけなのでしょう。


SNS等が発達し、他者に対する批判や批評が当然の権利の様に行われる昨今。

他人の主張に囚われすぎてしまう私たちに、カッコウはきれい事ばかりでは無い、自然の中での生き物としての生きる姿勢を教えてくれる様に感じませんか?






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