若和尚の雄道です、こんにちは。
中国の和尚さんの問答で、このようなものがあります。
修行僧「大難来たり、如何が回避せん」
老師 「恰好 (あたかもよし)」
意訳
修行僧「大きな災いが降りかかってきました、どうやって避ければよいでしょうか?」
老師 「それでもよいではないか」
この問答をみると時、
私は赤塚不二夫さんの『天才バカボン』に出てくる
「これでいいのだ」という言葉が頭に浮かびます。
以下は、アニメからの抜粋です。
「わしは バカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱり これでいいのだ 」
人生では、色々なことがありますね。
つらい事、苦しい事もあります。
しかし、「これでいいのだ」という言葉には、
暗く、重苦しい世界から、
前向きに現実を受け入れ、光り指す世界へと
軽やかに転換していく力がある様に思いませんか?
人生は迷いの連続。
でも「これでいいのだ」と、全てを受け入れてしまったならば、
「迷い」からリタイアするということになるのだとバカボンのパパは教えています。
そうはいっても、実際には「これでいいのだ」と割り切れないのが、我々人間。
その境地に達するのは難しい。
赤塚先生、恐るべし!!
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