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うり坊の話

更新日:2021年10月14日



若住職の雄道です、こんにちは。


九月十日 世寿八十八にて、大本山永平寺先代住職 福山諦法禅師が示寂されました。


また、

九月十九日 世寿九十三にて、大本山總持寺住職  江川辰三禅師が示寂されました。


※示寂=主に僧侶が亡くなること。


福山禅師は、私が永平寺に上山した年に住職となられ、修行中その教えに触れて参りました。


江川禅師は、泉龍寺本寺である清光寺先代ご住職であり、峡北高校にて17年もの間教鞭をとってこられたので、峡北高校ご出身のお方には、その教えに触れたお方も多いのではないでしょうか。



さて、永平寺では「接心」という集中修行期間がありますが、期間中、福山禅師が修行僧の前でいつもお話された「うり坊」の話があります。



ある雪深い山奥のお寺に投宿した朝。禅師はお手洗いに向かわれました。


途中の廊下、ふと窓の外を見ると、うり坊が雪穴にはまり、そこから一生懸命抜け出そううと足掻いておりました。


身体が小さく、力も弱いうり坊。いくら踏ん張っても、足は雪にめり込み、脱出の兆しは見られません。


おやおやと思いながら、トイレにて用を足し、帰りにまた確認してみると、うり坊は同じ場所で、いよいよ必死に穴を抜け出すべくもがいておりました。


それを見た瞬間、禅師はご自身の人生に於いて大事なことをうり坊から教わった、とおっしゃっておられました。



余計な話はされず、黙々とご自身のなすべきことに努めるお人柄。

うり坊に、何を感じ、何を教わったのか、修行僧の身としてはそこの部分が何より気になったのですが、そこに対するお言葉はありませんでした。


当時の私は、何だか尻切れトンボな話だなと、口を尖らせたものです。


でも、不完全燃焼だったゆえに、このうり坊の話は、いまだに私の中に疑問として残り続けています。


一体、あの話はなんだったのだろう?

禅師にとってうり坊とはどういった存在だったのだろう?

大事なものって何なのか?

結局、うり坊はどうなったの?



禅師は直接の答えを何一つ下さいませんでした。

その分、沢山の問いを下さった。


もし、答えを示されていたら、この話はすでに私の記憶の彼方に追いやられていたことでしょう。


皆さんはうり坊の話をどの様にとらえますか?


禅師は何を考え、何を教わったのか。


もはや、その答えを伺う機会は失われてしまったわけですが、私は福山禅師に人生に於いて大事なことを教わったと思っております。



ここに、両大徳のご遷化を悼み、謹んで哀悼の意を表します。




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