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ある ある ある

更新日:2020年6月28日



こんにちは、若和尚です。

今日は詩を一つ紹介させて頂きます。



 「ある ある ある」



さわやかな

秋の朝

「タオル取ってちょうだい」

「おーい」と答える良人(おっと)がある

「ハーイ」という娘がある


歯をみがく

義歯の取り外し 

かおを洗う


短いけれど

指のない

まるい

つよい手が 

何でもしてくれる


断端に骨のない 

やわらかい腕もある


何でもしてくれる 

短い手もある


ある ある ある

みんなある

さわやかな

秋の朝




清々しい秋の朝、家族とのひと時が浮かびます。


これは、中村久子さん(1897年 - 1968年)という方の「ある ある ある」という詩です。

久子さんは三歳の時に、突発性脱疽(だっそ)という病気に罹り、両手両足を失いました。


この方の生涯は、私から見ると苦難の連続でした。

7歳の時に、お父さんを病気で亡くします。


お母さんは、生活の為、すぐに再婚されますが、久子さんは再婚先で、

義理の父、義理の兄弟たち、近所の人々から、厳しい待遇を受けます。

久子さんは義理の父から、

「お前には、飯を食わせる楽しみがない。」

「お前を世間の人に見られるのは恥ずかしい。」

といった言葉を投げつけられ、日々を過ごします。

それを傍で見て肩身の狭い思いをしていたお母さんは、久子さんが一人で生きていけるように、厳しくしつけました。


まさに血のにじむ努力の末、

自分の身の回りのことだけでなく、裁縫、洗濯、書き物も次第に出来るようになっていきます。

しかし、再婚先のお家の生活も厳しく、久子さんは、19歳の時に見世物小屋に売られます。


「だるま娘」という呼び込みの中、人々の前で裁縫や洗濯をして、自分の食い扶持を稼ぎました。

花も恥じらう19歳の女性が、どんな気持であったか、想像に余りあるものがあります。


41歳の時、アメリカから、日本にヘレンケラーさんが来日されます。

その折、久子さんはヘレンケラーさんにお会いするだけでなく、

わずかにある腕や口で縫ったお人形を贈る栄誉に恵まれました。


当日、久子さんは懸命に作った人形を渡します。

目の見えないヘレンケラーさんは、始めにお人形を撫でて、その後、久子さんの傍に寄り、全身を確かめました。そして、両手がないことを感じるとサッと顔色が変わり、足に義足をつけていることを確かめると、いきなり久子さんを抱きしめて涙を流されたとのことです。

そして「私より不幸な人、そして偉大な人。」という言葉を贈り、褒め称えました。


後に久子さんは、見世物を引退し、全国を講演でまわり、障がい者の為の活動に生涯を捧げました。


五体満足な私が、ともすると「あれがない」「これがない」と日々ないものねだりを繰り広げておりますが、

両手も両足もない久子さんが「ある ある ある」という詩をのこされていることは、我ながら、情けない限りです。


冒頭の詩を拝見しますと、徹底して「ある」ものに目がいっております。


自分に「ある」ものにしっかりと目がいった時、

その自分に「ある」ものの豊かさに感謝し、幸せを噛みしめられるのではないかと、

今この様な時期だからこそ、強く思うのです。



参考書籍:『こころの手足―中村久子自伝』 春秋社1999/11/20

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