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「空」ってなあに?



住職の雄道です、こんにちは。


いきなりですが、「自転車」が一台あるとします。


自転車は、色々なパーツから出来上がっておりますが、

仮に、それらを全て取り外していくとしましょう。


サドルを外し、ペダルを外し、タイヤを外し、ブレーキを外し、チェーンを外し、

ホイールを外し、フレームを外し、という様に一つずつパーツを外していくと、

最後には何も残りません。


「自転車」は消え失せてしまいます。


サドル、ペダル、タイヤ、ブレーキ、チェーン、ホイール、フレームなどの構成要素が、「自転車」を作り上げているのだから当然のことですね。


全てのパーツが揃うと、「自転車」が現れるとも言えますね。


ともかく、「自転車」というのものが、単独でこの世に存在しているわけではありません。


また、各パーツであっても、それは同じで、サドルや、ペダル、タイヤも、それぞれを構成する別のものがあって成り立っており、それ自体で存在しているわけではありません。


これを「空の哲学」なんていいます。

実体がないということです。


分かりづらいでしょうから、もう少し補足します。


私は、「大塚雄道」と申します。

ほとんどが水分で、あとは各臓器、筋肉、骨格、脂肪などから出来ております。


私から水分を取り除き、臓器を除き、全ての構成要素を取り除いた場合、

やはり何も残りません。


「大塚雄道」という要素は何も残りません。


「大塚雄道」という存在に、実は何の実体もないという事、

これを「空の哲学」と言います。


『般若心経』というお経は、正にこの「空の思想」が出発点となって教えを説いているお経です。



さて、十二月はお釈迦様がお悟りを開かれた月。

中々難しい内容であったかと思いますが、ご紹介いたしました。


グッと寒くなりましたね。

お体にお気を付け下さい。




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